HIDOIJAN

重いオタクでごめんなさい

Raviのlive和訳記事の追記

ohayo-kutsushita.hatenablog.com

 

 

ひさしぶりに自分のブログのページを開きました

前回の和訳記事を書いてから早くも3か月経ったのですが、驚くことに今でもたくさんの方があの記事を読んでくださっているようです。

まずそもそもこのブログの仕組みやらを理解していないまま喋りますが、あの記事を公開して1か月も経たないうちにアクセスなんちゃら(なんちゃら)を覗いたら2000回以上も記事のぺージがクリックされていてビビり倒しました。やばい。

(なんと今見たら3000回超えてました....やばい)

 

あの時、ツイッターのほうで訳しました、と静かにURLを貼って呟いたのですが、予想していなかったたくさんの方々にRTされ、有難いことに優しいメッセージもたくさんいただきました。

 

一部匿名でいただいたメッセージを貼らせてただきます。

今回の記事はツイッターやらには載せずそれこそ本当に静かにあげるつもりなので多分誰にも読まれないだろうという余裕で話し続けていますが、もしこのメッセージを送っていただいた方でこの記事を見つけて「それは公開してほしくなかった...」というのがあれば、質問箱のほうかこちらのコメント(承認制なので公開せずに対応できます)のほうで一言くだされば早急に削除しますのでおっしゃってください!

 

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 改めて、暖かく優しいお言葉をありがとうございます。

それぞれ質問箱の方でお返事させていただいたのですが、こうやってもう一度改めて読んでもまたじーーんと来ます。わざわざこういう文章を残してくださって、本当にありがとうございました。

実はツイートした際にも書いていたのですが、雑でまとまりのない文字書き初心者のボロボロ記事だったので自分の気持ちが整理できるようにとりあえず書いて満足したらすぐ消してしまおうと思っていたんです。しかしそんなところに上記のメッセージが届いたりして、私がラビのliveに救われたように、日本語訳にして 文字したことによって それを読んでまた救われる人が出てくるんだな、と少し自信がつき このまま残してもいいかな....なんて思いながら3か月がたったところです💦

たぶん、このままずっと消さないだろうな....

 

 

そういえば、ラビと自分を重ねる....というのはかなりおこがましいのですが、つい最近、liveの歌詞がふとマッチした?ような出来事がありました。

あの歌詞の最後の部分、

죽고 싶은 게 아냐, 행복하고 싶은 게 맞지”(死にたいんじゃない、幸せになりたいんだ)

実はこの部分についてそこまで深く理解していませんでした。

あの時の自分は ザックリと話しますが"死にたい、けど死ねない"のような状態で、"死にたいんじゃない"という感情は1ミクロもありませんでした。

なぜ死ねない?それは私が死ぬことによってひどく悲しんでくれる家族、友人がいるからです。もしサクッと死ねてもその後の処理などをしてくれるのは家族、死んでからも迷惑をかけることになってしまう。私が死ぬことによって本当は明るく楽しい世界が突然霧が覆うようになってしまったらどうしよう。挙げていったらきりがないのですが、周りに迷惑をかけたくないから死にたいのに死んでも結局同じなのでそんな簡単に死ねないじゃないですか、

しかし死んで無になることによってやっと楽になれるのであれば、その時もうどうにもならないほどしんどければ周りのことなど考える隙もなく静かに死んでいるんだろうな、とも思います。

 

あの頃は常にどん底を歩いているような気分だったので、”死”に対する恐怖が全くありませんでした。

駅のホームだったり交差点に立っているとき、「一瞬なんだろうな」とか考えながら すごい速さで目の前を通っていく自動車やらを見ていて、今思い返すと、"当たったらものすごく痛い"という感覚?は思いもしていなくて。

川沿いを歩きながら帰ってたときも、今ここで横に落ちたら溺れて死ぬんだろう、と考えても”溺れる”ということに対しての恐怖は無く、苦しいのは一瞬、それを越せばやっと楽になるんだ と思って立ち止まり少しの間その流れる川の中をボ――ッと眺めていたりしました。

 

そのようなのが3月。。。くらいに何度かあって、最近、4月の末かな、

つい過食に走ってしまう私にとって毎日お風呂のお湯に2,3時間浸かってたくさん汗を流すことが過食の罪悪感を和らげる唯一の方法なのですが、

のぼせても少し湯から上がれば5分ほどで治まりそのあとは普通に戻れるのが、その日は何かおかしくて脱衣所に倒れこんで目の前が全く見えなくなり息も出来なくなるくらいやばいのぼせ方をしたんです。

身体の中のものが波のように口の方に上ってきて息もできないし平衡感覚が無くなってしまって立てないし、あと少しで意識が飛ぶんだろうな、となったとき、あ、これは本当にやばい。って思ったんです。 

必死に呼吸を整えて、視界が少し良くなって手に力が入るまで回復したら急いでグーグルに"のぼせたとき 対処方"って調べてて。体調が良くなった時にその時の自分の行動を思い返してめちゃくちゃびっくりしました。

無意識に、死にたくないって、思ってたんですよね。

あんなに、苦しくなっても別に...って思っていたのに、いざ本当に苦しくなったら やばい!って感じられてたんです。意識せず。

 

その時に、ハッと気づきました。

あっ本当はわたし死にたくないんじゃないかな、と。

楽になりたい=消えて無くなりたい

だったのが、

楽になりたい=今の状態よりも良くなりたい

と考え方がガラッと変わっていたんですよね。

 

たしかに、1か月ほど前くらいの自分より今の方が環境も良くなってきている(張り詰まっていたものを自分で少しゆるめて余裕を持つことにしたり、定期的に病院に通っていたりします)のもあると思いますが、ラビが言っていたことってこういうことか、とやっと理解?、共感することができました。

 

共感したと同時に「わたしは今ここに立っているのかな」(歌詞を指しながら)ともなりました。折り返し地点に立っているのかな、と。

そう思ったら急に、もしかしたらその先にいけるのかも という希望が少し持てて。

 

.....ああ、わたしは2回もこの曲に救われてしまったなあ。

 

またぶっちゃけると、この曲について前回深く考えたことで 救われる~と思う他に、なんだか重く感じてしまうようになって、逆にこんな自分を受け入れたくない という意思から避けてきた曲でもあったんですが、

ついこの間、ラビのソロコンサートだったんですけど、

liveの曲に入る前のコメントでラビが

『普段 曲を作るときにいろんな想像をし膨らませながら作っていますが、liveは自分の気持ちをそのまま鮮明に込めたくて自分と向き合って作った曲です』(ざっくり訳でかなりうろ覚えですが...)と話していて、分かる部分は一緒に歌って。とのことだったので、チョンハの部分はほぼ会場の全員で歌ったんですよ、

サビの部分でラビがマイクスタンドに手をかけて会場に響く歌声と観客を眺めながらうっすら目に涙を浮かべていました。

その時にやっとこの曲に対して思っていた感情やらそのために抑え込んでたいろんなものがぶわ~っと解放されたような気がしました。

 

このliveは私たちに向けて、だけではなく、ラビ自身にも向けている歌詞じゃないですか。あの日の会場でこっちからみんなでliveを歌えたことで、ラビに向けて歌ってあげられたような気持になって、ようやく 恩返し...ではないですが、少しでもお返しできたような、そんな感じがしました。あくまで自己満なんですけどね。

で、やっとセトリと同じに作ったプレイリストでliveが流れてきても、前ほど構えず、ラビの音楽を楽しむように聞けるようになりました。よかったです。

 

 

今これを読まれている方で私と同様ラビコンに参加された方、いらっしゃるのでしょうか。

前回の私の記事を読んで、正直いろんなことを考えてしまってラビに対して前までのように『かっこいい!!』『セクシージーニアス!!』『かわいい!!』ってストレートにできなくなってしまった方もいらっしゃったかと思います。が、先日のラビコンを観られて「ラビなら大丈夫だな」と感じられたんではないでしょうか😊

 

ラビだからこそあの空間をアツくできて喉をつぶすびょるぴをたくさん排出させたんじゃないかな~って思います(あの後3日間声が出なかった者より)

とっても楽しかったですね☆彡

今回のラビコンは"始まり"と言っていましたし、また準備してくれるって言葉だけでもめちゃくちゃ嬉しいですよね~~!!

日々止まらずにいろんなモノを作り出してたくさんの人に勇気だったり希望をくれるラビに改めて感謝ですし、改めて、銀河一好きだと叫びたいです。

 

 

ラビ!!!!ありがとう!!!!!!